死に神大臣


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死に神大臣

“死神”がつくキャラクターというと真っ先に思い出すのが天本英世演じる“死神博士”である。

 今回、それに匹敵するほどのキャラクターが誕生した。

死に神大臣”である。

永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を貼り、2カ月間隔でゴーサインを出して、新記録達成。またの名、死に神。

(4月18日 朝日新聞夕刊『素粒子』)

 週刊誌や毒舌な個人ブログが書くのなら分かるのであるが、全国紙が書くのは品格がなくていただけない表現である。これは不適切であり、掲載するべきではなかった。

 

 そしてこの記事に関して当の大臣が激怒しているということである。

私はあくまでも被害者の立場を強調するが、そりゃ、宮崎さんだって、そりゃ恐ろしい事件を起こした人ですよ。執行しましたよ。でも、彼にだって、人権も人格もあるんでしょ。彼も命を持っていたわけですよ。それは彼のおかした犯罪や司法の慎重な判断、法律の規定で、わたしも苦しんだあげくに執行した、そうやって執行されたんじゃないですか!

彼は「死に神」に連れて行かれたんですか。違うんじゃないですか。私は執行された方々に対する侮辱でもあると思います。私に対する侮辱はいくらでもかまわない。確かにこないだ3人執行しましたよ。トータル13人ですよ。彼らは「死に神」に連れて行かれたんですか、違うでしょう。

私はそういう意味でああいう軽率な文章については心から抗議したいと思いますね。私の政治行動や政治判断は、どんなに批判しても構いません。しかし、まったくもって軽率な欄、表現によって、国民が「悪いことをすれば裁かれた、これはやむをえないことだ」思っている時に、私を「死に神」だと表現することがどれだけ、悪影響を与えるかね。そういう軽率な文章を平気で載せるという態度自身が世の中を悪くしていると思います。

 

 全く持って卑怯で女々しい大臣である。

 この大臣は確固たる信念を持って死刑制度推進の立場で粛々と死刑を遂行しているのではなかったか。

 確固たる信念を持っているのなら女々しく言い逃れせずに、堂々と言い返してやればよいのである。

  

「確かに死刑された死刑囚にとって私は死神である。

 改心の見込みが立たず世間に戻れば再び犯罪を犯す恐れがあるので私は信念を持って死刑を実行した。

 私はあえて死神の名を受けよう。

 しかしそれは治安の良い国をつくる第一歩であり、治安と庶民の安全を守るために信念を持って行ったのである!」

 

「人を死刑にしておいて、自分は死刑を命じたということを指摘されると、日頃の信念を主張して問題提起せずに自己正当化に終始するような無責任法務大臣になる気持ちはない」

 

と。

  

「執行された方々に対する侮辱でもあると思います」

とは笑止千万。

 死刑を実行された死刑囚にとっては死刑を命じた法相は間違いなく“死神”である。

 宮崎勤は絞首刑でなく薬物注射での死刑を求めていたようである。嫌っていた絞首刑を実行された宮崎にとって死刑実行を命じた法相はまさしく“死神”であろう。

 それを死刑囚を引き合いに出して「侮辱」だと言いつくろっているところにこの法相の女々しさと卑怯さ、卑しさがある。

 

 

「わたしも苦しんだあげくに執行した、そうやって執行されたんじゃないですか!」

 

 そう思うなら、問題提起したらどうか。

  

「わたしも死刑制度については思うところが色々あります。

 わたしが“死に神”と言われたことをいい機会に、国民の皆さんで死刑制度について考えて下さい」

と。

 

 一方的に被害者ぶって自己正当化しているのが卑しいのである。

 死に神と言われて動揺するなら始めから死刑を許可するべきではない。

 ことは人の命にかかわる問題なのである。

 このような大臣に死刑を命じる資格はない!

 

 大臣の兄も何か言っているようである。

 「弟は死に神ではない」。民主党の鳩山由紀夫幹事長は21日、兵庫県加古川市で開かれた同党の衆院選立候補予定者の会合で、朝日新聞に「死に神」と書かれた弟の鳩山邦夫法相を擁護した。

 就任以来、13人に死刑を執行した鳩山法相は記者会見で、朝日新聞の記事に激しく反発している。この件について、参加者から質問された鳩山幹事長は「法相には一定期間で死刑を執行しなければならない責務がある。死刑をやりたいと思っているわけではないと思う」と弟の心境を推察した。その上で、「死に神の兄と呼ばれたくもない」と語った。

  http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008062100278

「心境を推察」するのなら死刑制度に対してなぜ問題提起をしないのか。

 

「このような死刑制度についてどう思いますか」

と。

  

「鳩山法相は、事件翌日の9日、「人の命を奪うような人にはそれなりのものを負ってもらうべきだ」と述べている。」

  http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080618-OHT1T00098.htm

 

 それならば、

 

「死刑を粛々と命じるような法務大臣にはそれなりのものを負ってしかるべき」

 

ではないのか。

 この大臣は、他人には厳しい一方で、自分は大きな権限を持って実行しておきながら、それに対するリスクは負いたくないのである。

 信念を持って死刑を実行するのなら、堂々とそれを国民に主張して死刑制度について世論を喚起するべきである。国民投票してもよい。

 それをできずに死刑囚への侮辱だとか言って一方的に被害者ぶる。

 あやふやで卑しい態度。

 大きな事をやったのだから、批判されるのは政治家として・民主主義として当然である。堂々と自説を展開すればいいのである。

 それを支持するネット世論もひどいもので、論で返すのではなく、媒体の言論弾圧まがいの書きぶりである。

 

 この騒動で分かったのは、

 

この法相には死刑を命じる資格が全く無い 

 

ということである。

 

 今回の“死に神大臣”騒動は、死刑制度について考えるいい機会であるのに、

 死刑制度の本質について議論せずに単なる

 

「言葉狩り」

 

に終始している。

 

 大臣が失言したのを朝日新聞などのリベラル系マスコミが報じると

「言葉狩りだ」

とヒステリーを起こす右派ブロガー諸君も早速「言葉狩り」祭りである。

 

 死刑は必要だから行った、死に神でどこがわるい

 

と堂々と死刑の正当性について主張したらどうなのか。

「言葉狩り」に終始していては単なる悪口ブログではないのか。

 

訳わからん このシャバは これから朝日を死神朝日と呼ぼうではないか

  http://blog.goo.ne.jp/kazu4502/e/a4fe6b75af97e6ebbbf367ecbae7e13a

 

 品格の無い見出しである。しかも

「朝日新聞は、昨日まで「社として特にコメントすることはありません」としていたものが一転してコメントを出してきました。」

として挙げているのが夕刊連載のしりあがり寿「地球防衛家のヒトビト」である。

 

 連載マンガを公式コメントと強弁するとはひどい捏造である。

 連載マンガと公式コメントの区別もつかないとは、余程思考に余裕のないお方なのだろう。

 捏造や思い込みで他人を批判しておきながら「日本人の志」とは聞いてあきれる。

 果たして長くて読みにくい文章を書いているが、思い込みと妄想で凝り固まっている。これで愛国を気取れるとは、愛国も薄っぺらくなったものだ。

 こんな「言葉狩り」を見過ごしていては、現実の社会でも言論弾圧につながりかねない。  

 

 それはともかく

死に神大臣”騒動を言葉狩りで終わらさず、死刑制度について冷静に考えてみるべきなのでは?

 

 

鳩山法相「粛々と死刑執行」 「治安の良い国つくる第一歩」

  http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/20080323/20080323_004.shtml

宮崎勤死刑囚ら刑執行 「自信持って」と鳩山法相

  http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008061701000217.html

鳩山法相下で死刑執行最多13人…秋葉原無差別殺傷を意識か

  http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080618-OHT1T00098.htm

鳩山法相 「粛々と死刑執行」 「人を惨殺しておいて自分の命だけ助かる死刑廃止論に与しない」

  http://yaranaika69.blog88.fc2.com/blog-entry-393.html